2025年7月14日(月)13:55
愛猫の「そら」が空へと旅立ちました。
19才と3ヶ月でした。
7/10(木)23:00頃 仕事から帰ると、
「そら」がトイレから上半身だけ出した状態。
「え??」
私と目が合うと「ギャ〜 ギャ〜」と悲鳴のように鳴きました。
引っ掛かって出られなくなってしまったのか?と思い、
引っ張り出すと両足が麻痺した状態で歩けない。
呼吸も荒い。
慌てて夜間救急に連れて行くと
「とても危険な状態。いつ急変してもおかしくない」と診断され、
そのまま入院することに。
心肺停止になったら蘇生はしますか?
とまで確認された....。
翌朝(7/11)朝一番にお迎えに行き、かかりつけの病院に移動。
そのまま入院となりました。
相変わらず呼吸も早く、脱水、貧血もしており、
かなりの痛みを感じている様子。
やはりいつ急変してもおかしくない状態でした。
しかし翌7/12(土)には、自分で少し足を動かせるようになり、
脱水気味ではあるけれど、その他の数値は落ち着いて来ていると。
ただご飯は食べてくれていないらしい。
次の日(7/13)も面会に行くと、
酸素ハウス内にいなくても大丈夫にはなっているものの、
相変わらずご飯は口にしていないようでしたが、
私の掌にカリカリを乗せたら少し食べてくれました ε= (´▽`;) ホッ
お家に帰った方がご飯食べるのでは?という事で、
7/14(月)に仮退院する事となり、当日のお昼の状態確認して
問題がなければ仮退院の流れでした。
当日のお昼「そら」の状態も良かったのですが色々準備もあり、
もう1日入院し7/15(火)にお迎えに行くと先生に話し電話を切った。
しかし、それから1時間もしない内に急変したと病院から連絡が....。
病院に駆けつけると、再び完全に両足が麻痺しており
激痛からかヨダレを流し、
上半身を起こしては倒れるを繰り返している状態。
とても見ていられませんでした

痛み止めを投与してもらい、その後少しづつ落ち着いて来た頃、
私の腕の中で静かに苦しまず息を引き取りました。
仮退院が出来ると言われた時でも生存率は50%と言われていて、
急変した時には「もう50%も無い....非常に生存率が低くなった」
と言われました。
「そら」が患った病気は、激痛を伴い、
治ってもまた繰り返すものだと。
先生も学校で、この病気になった子には出来るだけ多くの痛み止めを投与するよう学んだそうです。
今回また両足が少し動くようになり、
痛みが治っても必ずまた繰り返す病....。
しかもさっきまで普通だったのに突然起こる病気...。
「そら」も本当に突然でした。
何度も何度も苦しい思い、痛い思いをしない内に
虹の橋を渡れて良かったと思っています。
でも..... ( ɵ̷̥̥᷄﹏ɵ̷̥̥᷅ )
19年前、私の目の前に現れた「そら」。
生後30日ほどの小さな「そら」は、道路の真ん中で動けない状態で、
ブ〜ブ〜と鳴き、瀕死の状態でした。
右目の角膜は真っ白く飛び出し、鼻もガビガビに詰まっていて...。
そんな「そら」を保護し、うちの子になって19年。
「そら」も私も異常なほどお互いに依存し合い、
毎日夜中の2:00頃になると「もう寝ようよ〜〜」と
鳴いて私に寝ようよアピールをして来た「そら」。
毎日、私の腕枕で眠る19年間でした。
自分の要求が通るまで鳴き続けるという
我の強い、我儘な子に育ててしまいましたが、
本当にたくさんの愛と幸せを与えてくれました。
亡くなった翌日、火葬をしてもらいました。
もっと長く一緒にいたかったけど、この暑さも考え、
可哀想なので直ぐに火葬の手配をしました。
亡骸を連れて帰り、明日にはお別れ。
リビングで「くうた」とママと過ごし、
最後の夜は「そら」の亡骸をベットに運び、
いつものように一緒に寝ました。
そら、あなたには感謝の言葉しかありません。
そら、19年間ありがとう。
ありがとう いっぱいいっぱい愛をくれて。
ありがとう いっぱいいっぱい幸せをくれて。
ありがとう ママと出会ってくれて。
ありがとう ママの子になってくれて。
たくさんの思い出をありがとう。
たくさんの優しさをありがとう。
たくさんの温もりをありがとう。
ありがとう、そら。
もう痛くないよね?
もう苦しくないよね?
よく頑張ったね。
ゆっくり休んでね。
ママのこと見守っててね。
ずっとそばにいてね。
また会いに来てね。
そら、本当に本当にありがとう。
いつまでも愛してるよ。
PS. 皆さんにも沢山の愛をいただき「そら」は本当に幸せだったと思います。心より感謝申し上げます。
これからは「そら」同様「くうた」も愛していただけましたら幸いです。
ありがとうございました。